雪也の攻防戦~5

     嫁好きを拗らせている久遠専務に言われ、取り敢えず相馬の元に向かった

    涼介。

    相馬の落ち着きがない原因など、一つしかない。雪也の事だ!

    支社長室に着き、扉を二回ノックする。

 「失礼します」

    その声に怒気を感じることはなく、静かだ。

    扉を開けて入室し、パタン、と静かに閉める。洗練されたその一連の動作

    には無駄がなく、涼介の有能さを表している。

    だが、くるりと振り返った涼介のこめかみには、血管が浮き出ていた。

 「相馬ぁ~~~、お前何やってんだぁ!!!!!」  

 「………」

    大声で叫ぶが、反応がない。

    見ると、机の上のノートパソコン二台を、真剣な表情で見つめている相馬

    の姿があった。

    どうやら仕事に集中しているらしい。その姿に違和感を感じ、静かに相馬

    の背後に回り込み、パソコンの画面を覗き込む。

    やっぱりかぁ!そこには、雪也の通う学校が表示されていた。

    以前、雪也に手渡したスマホに、GPS機能を備えていたのだろう。

    もう一台には、雪也の(隠し撮りと思われる)写真が、画面一杯に貼られ

    ていた。

 「ストーカーかよ!」知っていたけど…。

    ゴンッ!と相馬の頭に拳骨を入れた。

 「痛い!何するんだ」

 「うるせえ!『何する』じゃねーよ。仕事しろ!仕事」

 「え~、仕事なんかしている場合じゃない!今は雪ちゃんの動向を把握する

    事の方が最重要事項!!!!!」

 「よし、通報!」

 「何で?」

    涼介が携帯を取り出し、『電話』のアイコンをタップする。慌てて取り上

    げようとする相馬。それを交わし、携帯を死守する涼介。尚も追撃して携

    帯を奪おうとする相馬。

    側から見たら、いい歳をした大の男二人が、何をじゃれあっているのかと

    いう構図だ。

 「……いい加減…仕事……しろよ…」

 「だから……今は…それどころじゃ……ない…って……」

    攻防戦開始から四十分後、部屋で鬼ごっこを展開していた二人の息が上が

    り、終了する。

 「…っは~、疲れた。おい、そろそろ仕事ちゃんとしろよ。専務や他の重役

    達の前では特に!」

 「……何か言われた⁉」

 「ああ、久遠専務にな」

 「え~、嫁好き拗らせているオッサンに言われたくないなぁ」

 「…まぁな。だからオッサン達の前だけでいいから、『仕事してます!』て

    フリをしろよ。あと、だらけててもいいから仕事はきっちりやれ」

 「………………」

 「何だその物凄く嫌そうな顔は。返事!」

 「………………………………………………………………………………はい」

    相馬の態度に呆れながら聞く涼介。

 「で⁉ 雪也君がどうかしたのか?」

 「!そうなんだよ。見てこれ、雪ちゃんとのLINEなんだけど」

    そう言って、相馬は自分のスマホの画面を涼介に見せた。

    〉雪ちゃん♡ 今仕事終わった。

    〉お疲れ様です。

    〉19:00過ぎには家に帰れるよ♡

    〉了解です。


    〉今日の晩御飯、何かなぁ? 楽しみ♪

    〉白米、玉葱と卵の味噌汁、鯖の塩焼き、ほうれん草のお浸しです。


    〉今日はカレーとポテトサラダが食べたい♡

    〉了解しました。


    〉雪ちゃん、ごめん。今日は帰りが遅くなる。

    〉了解です。晩御飯はどうしますか?

    〉外で食べてくる。ごめんね、もう用意しちゃった?

    〉了解です。大丈夫です。


    〉雪ちゃん、可愛い♡

      既読無視


    〉雪ちゃん、今何してるの?

     未読

    〉雪ちゃん、今度の日曜遊ぼう♡

    〉すみません。部活があるので…。家事はするので安心して下さい。

    ここ数日のやり取りを見せられた、涼介の感想は、

 「相馬ウゼェ、雪也君、お疲れ…」

    だった。

雪也の攻防戦~4

 「各務君、ちょっといいかな?」

    相馬が雪也に携帯を渡してから一週間程過ぎた頃、会社の廊下で専務に呼

    止められた涼介。

 「久遠専務…、はい、何でしょうか?」

    久遠は、年の頃は五十代前半で、なかなかの切れ者だ。本来ならば、本社

    の重役になっていてもおかしくない人なのだが、本人曰く。

 「え~、本社勤務しんどい。あの藤堂社長の下で働くとか無理!俺には此処

    で支社長の補佐役で充分だよ。嫁ちゃんとイチャイチャできる時間も作れ

    るしね♡」

    という感じで、出世欲が無い。無くてもここまで出世した事が凄い、そし

    て嫁好きを拗らせているらしい。なんでもその昔、当時五歳の息子と、本

    気で嫁の取り合いをしていた!という噂を聞いたことがあった。

    この会社、変な人が多いのだ。

 (まぁ、その最たる者が俺の上司なんだが)

    相馬の顔を思い浮かべ、思わず遠い目になる涼介。

 「…各務君?」

 「あ、失礼しました。それで、どういった御用でしょうか⁉」

    久遠専務に声を掛けられ、我に返る。

 「うん、支社長の事なんだが…」

    支社長とは相馬のことだ。

 「あのバ… 失礼しました。支社長がどうかしましたか?」

 「君も大変だね…。分からなくは無いけど、頑張ってくれたまえ。今後の事

    は君の双肩にかかっている!」

    ポンッ、と肩を叩かれる。

 (うわぁ、このオッサン。相馬のこと俺に丸投げする気満々だな、おい)

 「それで、何があったんですか?」

 「いやぁ、それがね。支社長、この頃ソワソワしてるというか、落ち着きが

    無いんだけど。さっきの会議でも、携帯をチラチラ見てたかと思うと、た

    め息ついたり、手に取って携帯の画面をじっと見つめて、『来ない』とか

    泣きそう顔で言ったりしてるんだよね。どうしたものかな?」

 「いや、『どうしたものか』じゃなくて、叱って注意して下さい」

 「え~、めんど…んん、彼はあの藤堂社長の御子息だよ⁉ 支社の専務など、

    会社全体的に見たら、ヒラ社員とたいして変わらない。そんな私が注意な

    んて出来る訳無いだろ⁉ 不敬じゃないか」

 「何言ってんだ。アンタその社長と飲み友達じゃねーか!飲みに行って愚痴

    ってんの知ってるんだぞ。秘書課の情報網舐めんな!!!」

    あと、本音が透けてたぞ。と、涼介は敬語もすっ飛ばして突っ込んだ。

 「あ、バレてた⁉ もしかして、ウチの桐島君も知っているのかな⁉」

    桐島君とは、専務の秘書で涼介の先輩にあたる人だ。専務の家庭内の事情

    や、その他の重役達の個人的な事まで知っているという、なかなか侮れな

    い優秀な人なのだ。そして、この専務の相手をしてる苦労人でもある。

    涼介はこの先輩を心底尊敬していたし、同情もしていた。なので、

 「知っています」

    とだけ答えた。

 「嘘でしょ⁉ 上手く奴を交わして、内緒で行ってたのに。内容も把握されて

    いるって事⁉ 今迄のも全部⁉ あんな事やそんな事も⁉ 本当に⁉ うわぁ、

    恥ずかしい!どうしよう⁉ どうしたらいいと思う⁉ ねぇ、各務君!!!」

 「知りませんよ」

    色々残念な発言をする久遠専務に、呆れながら答える。

    五十代のオッサン達が、揃いも揃って一体何をやっているのだろう。

    因みに、

 「なぁ、久遠ちゃん。もーそろそろ僕と代わってくれても良くない⁉ いい加

    減疲れてきたんだけど、この社長の相手するの…ていうか、ズルい!!!

    お願いだから、交代して!お願い!お願いお願いお願いお願いお願い!」

 「え~、俺だってヤだよ。慶司さんの相手…宇宙人の相手は辺境惑星に住む

    平凡な地球人の俺には無理だから!大体、九堂サン俺の先輩なんだから、

    意地を見せて下さいよ~。ね⁉ 慶司さん」

 「糞くだらん意地なんぞ、地球外生命体・危険生物第七号かβにでも喰わせ

    てやるンゴ。な、藤堂!ちな、コイツは危険生物第一号だから!」

    九堂と藤堂は同窓生である。

 「二人して酷い……、人の事を宇宙人とか危険生物とか、これでも俺、最高

    責任者だよ⁉ CEOだよ⁉ 神だよ⁉ もっと敬って!崇め奉ってくれても良

    いよ!御利益は保証出来ないけど!!!!!」

 「「そんなドヤ顔で言われても」」

 「それより九堂、お前また変なロボットアニメ見たな。あとその言葉使い、

    まだ2チャンネルに遊びに行ってるのか」

 「遊びとは失礼な!リサーチだよ、リサーチ!今時の若者達の事を知る事が

    出来るぞ。あと迷える子羊達に、僭越ながら助言させて貰っているンゴ」

 「……でも、そうか、御利益ないのかぁ。まぁ、あったとしても、俺ん家の

    女神様ほどではないだろうけど♡ 嫁ちゃん最高♡ あ~、あの馬鹿息子、

    早く高校卒業して一人暮らししないかな。邪魔!」

 ((相変わらず嫁好き拗らせてるな))

 「久遠ちゃん、仮にも自分の息子を邪魔って…」

    呆れた様に九堂が言う。

 「だってアイツ、五歳の時に嫁ちゃんにプロポーズした。俺、息子に宣戦布

    告された!敵!許すまじ!潰す!」

    そうは言っても、久遠は久遠なりに愛情を注いで、程良い関係を築いてい

    るらしい。

    そして、本来の専務交代の話題から、ズレている事に気が付いていない三

    人であった。

    という一連の飲み屋での会話も、五歳の息子云々という話も、既に桐島か

    ら聞いていた涼介だった。

雪也の攻防戦~3

     雪也が相馬のマンションへ引っ越して二、三日経った頃、相馬から新品の

    スマホを渡された。

 「雪ちゃん、コレ持ってて」

 「携帯…ですか」

 「そう、雪ちゃん持ってなかったよね。今時の小学生だって、持ち歩いてる

    っていうのに」

 「すみません。今迄、必要無かったので…」

 「まぁ、中学に上がると、学校から連絡が来る事なんてほぼ無いけど、どう

    してたの⁉ 友達からのメールとか…」

 「母が携帯…ガラケーですけど、持っていたので、学校からの連絡はそっち

    にいってたと思います。月也と薫も持ってはいますが、休み時間でも弄っ

    ているところ見たことがありませんでした。まぁ、学校では基本、使用禁

    止なんですけど、何人かは先生にバレないよう使ってましたね」

    相馬の問いに、雪也は携帯を物珍しげに眺めたり、裏返したりしながら答

    えた。

 「…そうなんだ」

 「あ、でも、…多分月也は、俺に気を遣っていたと思います。アイツああ見

    えて気遣い屋なので」

 「ふ~ん」

    雪也から見た月也の評価を聞いて、相馬の顔が曇る。

    相馬の声のトーンが明らかに違う、不機嫌そうな返事。雪也もそれを感じ

    取って顔を上げ相馬を見た。

    拗ねている⁉ しかし、先程の会話で、相馬の機嫌を悪くする要素があった

    だろうか⁉ が、ある事に気がついた。

 「相馬さん」

 「…何⁉」

 「えっと…、携帯を持たせてくれて、ありがとうございます」

    まだお礼を言ってなかった。だがこれも的外れだったのか、相馬はガクッ

    とうなだれて『ドウイタシマシテ』(棒読み)と言っただけだった。

    まぁ、お礼や感謝の言葉、などの見返りを求める相馬ではないのだが、き

    っちりしておきたいのが雪也だ。そして、できればこの空気を変えたい。

    なので、聞いてみた。

 「あの、それで、コレおいくら万円ですか? あと、月々の料金とか…」

    今迄携帯を持ってなかったとはいえ、周りの影響で、本体価格や使用料と

    いった知識はあった。

 「そんな事、雪ちゃんは気にしなくていいから」

 「でも…」

 「…でも、気になる⁉」

 「…はい」

 「雪ちゃんは真面目だなぁ。いい事だけど、この前も言ったよね⁉ 大人は最

    大限利用しろって…」

 「そうなんですけど…」

 「でも、まぁ、そうだな。雪ちゃんがどうしてもって言うなら…」

    一見優しそうな笑みの相馬。だが、目だけは異様な光を帯びている。

    あ、これ、やばいヤツだ!

 「今晩から毎日、雪ちゃん僕と添い寝するって事で♡…」

 「ありがたく、タダで使わせて頂きます!あと、“添い寝” が迷子になってい

    ますよ!おやすみなさい!!」

    相馬の言葉を、途中でぶった斬ってそう言うと、雪也は自室へと駆け込ん

    で、鍵をかけた。

 「雪也君、対相馬スキルを着実に上げているな」

    ここまでの二人の会話を、黙って聞いていた涼介は、相馬の肩にぽんっと

    右手を置いた。

雪也の攻防戦~2

     ある日、雪也は晩ご飯の席で、相馬と涼介に出会った時から気になってい

    た事を聞いた。

    それは、二人の関係性だ。涼介の相馬に対する態度や言葉使いは、どう見

    ても上司と部下という感じではない。

    では恋人同士なのかというと、そうでもないらしい。そもそも涼介には、

    可愛い彼女がいる。(デートも儘ならず、振られるのでは、と怯えていた

    というか、泣いていた)

 「 涼介さんは、相馬さんの秘書なんですよね?」

 「そうだよ、なんで⁉」

 「いえ、あの、涼介さんの相馬さんに対する接し方が、何となくキツイなっ

    て思って…」

 「えっ、それは…コイツに優しくしろって事⁉」

    相馬を指差して、物凄く嫌そうな顔をされた。

 「雪ちゃん、優しい♡」

 「いえ、そうは言ってません」

 「雪ちゃん……」

 「ただ、ちょっと気になっていたので…。単なる上司と部下にしては、随分

    親しそうだなって。あと、俺の事も前から知っているみたいだったから」

 「ああ、まぁ、…君の事は知っている、というか知っていた。学生の頃から

    聞かされていたからね」

 「学生…、大学生ですか⁉」

 「いや、高校一年の時。同じクラスになってさー、その時から何故かコイツ

    とワンセットにされた。そしてそのまま今に至っている」

 「それは…大変でしたね」

 「そうなんだよ~。まさか、会社に入ってまでセットにされるとは思わなか

    ったから。で、雪也君の事は、その時から知ってる。…写真も見せてもら

    ったからね」

 「写真⁉」

    雪也は思わず椅子から立ち上がって聞いた。初耳だ。

 「……あるんですか⁉」

    踏み込むのは危険だと分かっていたが、聞かずにはいられなかった。

 「……あるよ。見る⁉」

    相馬は寂しそうな笑顔を見せた。これで二度目だ、と雪也は思った。

 「ハイ」

 「……おいで」

    相馬の後に着いて行くと、そこは相馬の寝室だった。

    やっぱりか~!嫌な予感的中!!

    因みに、相馬の寝室にはキングサイズのベッドが置かれている。

    相馬はドアを開けて、雪也を誘う。

 「さっ、入って♡」

 「イ、イヤです」

 「大丈夫だよ⁉」

 「大丈夫じゃない気がする」

 「……何もしないから」

 「今の間は何ですか⁉ 嘘ですよね!」

 「ホントに何もしないから、入ろ♡」

    雪也はイヤイヤ、と頭を横に振る。

 「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから。何もしないから♡」

 「何故、三回も言うんですか⁉ 怖い!」

 「ラブホ前で、合コン帰りの男女みたいな会話になってるぞ」

    二人の会話に、呆れながらも突っ込みを入れる涼介だった。

雪也の攻防戦

     相馬のマンションに移り、数日が過ぎた。

    その間もいろんな出来事があった。例えば、体力テストの日の朝、朝食の

    席で雪也がいつもの制服ではなく、ジャージ姿に気付いた相馬は理由を聞

    いてきたので話すと、会社を休んで学校に行くと言い出した。

 「僕がいなくても、会社なんて勝手に回るよ。困る事もそんなにないと思う

    よ⁉ それよりも、雪ちゃんの応援に行きたい♡ いいよね♡」

 「支社長なんですよね⁉ 相馬さんがいないと困るし、回らないんじゃないで

    すか⁉ あと、運動会じゃないので、応援はいりません。駄目です」

 「え~、平気だよ。それより、テスト中もずっとジャージ⁉」

 「平気じゃないですよ。体操服です」

 「………と言う事は、短パン⁉」

 「そうですけど⁉」

 「行く!絶対行くから!!」

 「ダメだって言ってんだろ!…あっ、もう俺行きますから!相馬さん達も食

    器、食洗機の中に入れておいてください。お願いします」

    雪也はカバンを持って、足速に玄関へ向かった。

 「雪ちゃん、待って…」

    靴を履いていると、相馬が追いかけて来た。まるで親の後追いをする子供

    のようだ。

    幼児か、アンタは!雪也は思わず心の中で突っ込んでしまった。

    すると突然、相馬が倒れた。どうやら、涼介が背後から飛び蹴りを入れた

    らしい。倒れた相馬の背中を踏みつけ、涼介が叫ぶ。

 「行け!雪也君!!」

 「涼介さん、…ありがとうございます!行ってきます!」

    マンションの廊下を小走りで駆け抜け、エレベーターに乗り込むと、雪也

    はホッと一息ついた。

    
    体力テスト午前の部が終わって、今は昼休み。雪也は月也と薫に今朝の出

    来事を話した。案の定、月也は大丈夫か、と心配してくれたが、薫は興奮

    した様子で、雪ちゃん家の部屋の壁になりたい、などと言い出した。

    要は、覗き見したい♡ という事らしい。これだから腐女子は!と怒りを隠

    せない雪也だった。

    体力テストも終わり、部活動もきっちりやると、若いとはいえ、体力を

    消耗する。特に、入部したばかりの一年生は、立っているのも辛そうにし

    ていた。部長である雪也は、部員達を気遣いながら頭の中で、晩飯の献立

    を検索していた。


 「「ただいま~」」

    夜の七時半、相馬と涼介が帰ってきた。

    今日は随分早いな、と思いながら玄関に向かう雪也。

 「お帰りなさい。今日は簡単にハヤシライスしたんですけど、…大丈夫です

    か⁉ 随分疲れているようですけど」

    帰宅時間が早い割に、疲弊しきっている相馬と涼介。

 「あ、雪ちゃん♡ うん、大丈夫…って、雪ちゃんの生足!!!!!」

 「「えっ?」」

    雪也は自分の足を、涼介は雪也の下半身に視線を移す。

    そうだった。疲れた雪也は、上だけ着替えて下は体操服の短パンのままで

    いたのを思い出した。

    母親似の雪也の肌は、クラスの女子からも羨ましがられる程白い。

    雪也自身にとっては、コンプレックスでしかないのだが。

 「あ~、眼福~♡ 触っていい⁉ 触りたい♡」

 「ダメです。イヤです」

 「え~、じゃあ、撫で回すので我慢する♡」

 「我慢の意味が迷子になっていますよ」

 「もう、雪ちゃん我儘なんだから♡ じゃあ、舐め回すので手を打とう♡」

 (変態だあああああああああああああああああああああああああああああ)

 「俺の体は全体的にお触り禁止です。ご了承下さい!!!!!」

    そう叫ぶと、雪也は自室へと駆け込み、三時間程引きこもった。

    お陰で、三人が晩飯にありつけたのは、夜の十時半過ぎになってしまった

    のだった。

雪也と相馬そして涼介~8

      荷物の運び入れや買い出しがひと通り終わり、一息つく雪也。

    と、そこへ涼介が言った。

 「もうこんな時間か。腹減ったな、飯にしようぜ」

 「そうだな、食べに行くか。雪ちゃん、何が食べたい?」

 「…えっと、簡単なモノで良ければ、俺作りますけど」

    先程の買い出しの時に、調味料や食材を大量に購入したのだ。

    しかも、何故か大きめの新しい炊飯器まで買うことになり、大小二つの

    炊飯器が置いてある。これならあまり時間をかけず済むので、雪也は提案

    したが、呆気なく却下された。

 「雪ちゃんも疲れたでしょ⁉ 明日もまた片付けの続きがあるから、無理し

    なくて良いよ」

 「そうだよ、それにこれは、雪也君の引越し祝いも兼ねているんだから!と

    言う事で、相馬、俺肉!肉食いたい!がっつりと!焼肉行こうぜ!焼肉!

    勿論、お前の奢りで♡」

 「…それは構わないが、『引越し祝い』なら、雪ちゃんの食べたいモノを優

    先すべきだろう⁉ 涼介の食いたいモノなんかどうでもいい」

 「ふむ、それもそうだな」

    二人は雪也に顔向けて聞く。

 「雪也君は何が良い⁉ 男の子ならやっぱ焼肉食べたいよね。焼肉♡」

 「だから!それはお前だけだろ。雪ちゃん、こんな奴の言う事は気にしなく

    ていいからね。好きなのリクエストして」

 「……俺は別にこれといって食べたいモノがないので、お任せします」

 「「遠慮しないで!!!!」」

    別に遠慮した訳ではなく、相馬に部屋に連れ込まれそうになった雪也は、

    まだ立ち直りきれず、正直なところ、食欲もあまり無かった。

    それにしても、相馬が自分に対して随分気遣っているように見えた。

    まあ、実際 “連れ込み未遂事件” の後、雪也は相馬と会話する時は、涼介の

    後ろからだったり、背後から声を掛けられようものなら、一目散に逃げ出

    し、七つの鍵付き部屋へ閉じ籠る。など、徹底して相馬を避けていたのだ

    から無理も無い。

    だからと言って、同情する気は1ミリも無い。自分だって怖い思いをさせ

    られたのだから。

 「雪ちゃん!」

    相馬に声を掛けられ、我に返る雪也。

    顔を上げると、すぐそばに相馬の顔があり驚いた雪也は、サッと身を翻し

    て涼介の背後に隠れ、そこから顔だけ出して応える。

 「あ、すみません。えっと、何ですか?」

 「………雪ちゃん。…焼肉でいい⁉」

 「はい。俺は構いません」

 「自業自得だ。相馬」

    雪也の行動に、少なからず傷ついた相馬に対して、どこまでも容赦無い

    涼介だった。

雪也と相馬そして涼介~7

    とりあえず、身の危険は無くなった雪也だが、相馬との攻防戦で、激しく

    気力、体力共に消耗させられていた。

 (合気道の試合でも、昇級試験でも、こんなに疲れること無かったのに…。

    何だろう、このもの凄い精神的ダメージは)

    はぁ~、と大きな溜息が漏れる雪也。

 「雪也君、疲れているところ悪いけど、くれぐれも油断は禁物だから!コイ

    ツと一緒に住むって事は、そう言う事だから。相馬の半径2メートル以内

    には近づかない事、特に間合いには絶対入らない事! いいね⁉ まぁ、間

    にテーブルとかあれば、襲い掛かられてもブロックできるし、最悪、逃げ

    出す時間稼ぎには使えるから、コレが一番お薦めかな!」

 「御助言を頂き、有難うございます。…もし、万が一捕まった場合はどうす

    れば⁉」

 「俺が居れば助けてあげるよ!」

 「居なかったら?」

    雪也の問いに視線を逸らし、答える涼介。

 「………………………………………………諦めて」

 「諦めて⁉ いや、諦めたくないんですけど。諦めたら俺の人生終わってしま

    うんですけど」

 「……そこは、まぁ、新しい人生の扉が開くと思って」

 「開けたくないし。そもそも、そんな扉要りません!」

    他人事だと思って、対応が雑過ぎる。

 「ま、その事はひとまず置いて、やる事やっておかないと、今日中に終わら

    ないどころか、明日の夜になっても終わらないよ。疲れた状態のまま月曜

    日迎えることになるけど、いいの⁉」

 「それは嫌です」

 「僕も嫌」

    涼介の問いに、雪也と相馬が即答する。見ると、相馬はかなり疲れた表情

    をしている。さっきまであんなに元気だったのに、というか浮かれていた

    のに。

    しかし、そのお陰でその後は脱線することもなく、夜の九時前には無事、

    引越しが完了した。勿論、雪也の部屋の鍵も新しく六つ取り付けられ、合

    計七つになったドア。部屋の内側から見るとかなり異様に写った。

    だが、鍵を付けてくれた業者の人は、別に驚くでもなく雪也と相馬を交互

    に見ると、納得した、というように頷き、黙々と作業を進めた。

    後から知った事だが、業者の人は相馬と涼介の元同級生らしい。どおりで

    あの異様な数の鍵の取り付けにも冷静な訳だ。と納得した雪也だった。