ゴールデンウィーク前日~雪也 月也 薫 3

     放課後、合気道部の男子更衣室。

    雪也と月也は、制服から道衣に着替えていた。既に一級を取得している二

    人の帯の色は茶色だ。

    因みに薫も一級を取得している。武闘派腐女子だ!

 「大体さぁ、小テストで長文問題出すって有り得ないよなぁ!普通、漢字の

    読み書きとかだろ。クソッ、鬼先の奴、やっぱ鬼だわ」

    帯を締めながら、月也は愚痴っていた。鬼先とは、国語の先生の事だ。

    苗字が鬼塚なのと、定期テストや小テスト等で、鬼みたいな難しい問題を

    出すかと思えば、可愛らしいイラスト付きのサービス問題もある。(主に

    うさぎやネコ、クマさんといった動物の絵が描かれている。しかも、鬼塚

    先生直筆だ)

    女子達と可愛い物好きの男子はそれを、『鬼可愛い』と言って喜んでいた

    りもするが、稀に其の逆もある。

    超可愛いイラスト付きに、超えげつない問題が出された事もあった。

    そういった事情で、鬼塚先生は生徒達に『鬼先(おにせん)』と呼ばれて

    いる。

 「まぁ、あの先生は、前からそういうところあったけどな」

    中学一年の時から、鬼塚先生の国語の授業を受け、慣れていた雪也はロッ

    カーの扉を右手で軽く押して、閉めながら言った。

 「そうだけどさ!」

    同じく三年間、鬼塚先生の授業を受けてきた筈だが、国語が苦手で慣れる

    事が出来なかった月也は、大きめな声でそう言うと、ロッカーの扉をバタ

    ンッと音を立てて乱暴に閉めた。

    雪也達と一緒に更衣室にいた一年生二人は、声と音に吃驚して雪也の背後

    に隠れる。尤も隠れきれていないのだが…。

    其れを見て、月也が呆れた様に言う。

 「お前らに怒ってる訳じゃないから、そんなにビビってんじゃねー!仮にも

    武術やっている奴が。あと、隠れきれてねぇからな⁉ 雪、細いから」

 「お前が乱暴なんだよ、武術やってたって怖いものは怖い。そして大きなお

    世話だ!…先に行って、ストレッチ始めていてくれ」

    前半部分は月也に、後半部分は一年生達に向けて言うと、二人は「はい」

    と返事して、ホッとした様子で更衣室から出て行く。

    二人を見送りながら、月也が言う。

 「何だよ、俺が悪いのか⁉」

 「悪いだろ。下級生からしたら上級生なんて恐い存在だし、特に今の二人は

    合気道始めたばかりなんだから、怖がらせるな。数少ない新入部員を大切

    にしろ!」

 「え~、俺、先輩達怖いって思った事無いけど⁉ 雪は怖かったのか⁉ そう

    は見えなかったけど」

 「先輩達、怖く無かった」

    そう、雪也にとって部活の先輩達は、恐い存在ではなかった。厳しくはあ

    ったけれど、威張ったり、理不尽な命令をする人達では無かったから。

 「『は』って何だよ『は』って。…あっ!じゃあ、アレか⁉ 去年の夏祭り

    の時の…」

 「『アレ⁉』、……ああ!アレか。別にあの高校生達も、何とも思わなかっ

    たな」

 『アレ』とは、去年の夏、お祭りに行った時の事だった。五人の高校生を相

    手に、二人で全員倒してしまったのだ。その時も怖いと感じる事が無かっ

    た。むしろ、高揚していたと言っていいだろう。おそらく、月也も。

    なので、雪也は更衣室の出入口に向かいながら、からかうように月也に言

    った。

 「お前、あの時すっごく悪い顔してたよなぁ」

 「はぁ⁉ 何言ってんだ。お前こそ、今迄見た事無いような黒い顔してたくせ

    に。俺、ちょっとドン引きした」

 「どっちだよ」

    廊下に出て、出入口の扉を閉めながら答える月也に、雪也が突っ込む。

    部室の並ぶ廊下を無言で歩いていると、心配そうな顔の月也が、雪也の顔

    を覗き込んで聞いて来た。

 「なぁ、昼休みはああ言ったけどさ、大丈夫か⁉ お前怒られたりしない⁉」

 「ん? ああ、大丈夫だろ。そんな事で怒るような人じゃないから」

 「そっか、ならいいんだけどさ。俺達のせいでお前が居づらくなったらどう

    しようかと…」

 「大丈夫だって言ってんだろ」

    雪也が言うと、「うん…」と元気の無い返事が返って来たので見ると、少

    し俯いてしょげた顔の月也がいる。その姿はまるで、飼い主に叱られて元

    気の無い大型犬のようだ。

 (全く、心配するくらいなら薫を止めてくれればいいのに)

    短い溜息をついて、雪也が言う。

 「本当に大丈夫だから、相馬さんと月也を合わせる事には、何も心配して無

    いんだけど…」

 「けど?」

 「何故だろう⁉ 相馬さんと薫を引き合わせると、死ぬ程後悔する気がする」

    そう言いながら、雪也は今朝の相馬との会話を思い出していた。


 『雪ちゃんの学校、ゴールデンウィークはどうなの⁉』

 『休みの事ですか⁉ カレンダー通りですね』

    相馬と涼介のコーヒーカップに、コーヒーを注ぎながら答える。

 『そうなんだ…』

 『はい。相馬さん達は、九連休ですか⁉』

 『うん♡ だから旅行に行こうかと思って…』

 『旅行⁉ いいですね』

 『ホント⁉ じゃあ…』

 『はい!俺は留守番してるので、相馬さんは恋人さん達とゆっくりしてきて

    下さいね!』

 『?????待って雪ちゃん、どう言う事⁉』

    テーブルに手をつき、ガタンと音を立てて立ち上がる相馬。

 『どう…って、相馬さん、恋人が沢山いるんですよね⁉ 俺は邪魔にならない

    よう、此処で留守番してます』

    立ち上がり、通学用のバックを肩にかける。

 『誤解だよ雪ちゃん。僕には今恋人なんていない!』

 『そうですか』

 『信じて!僕は雪ちゃんと旅行に行きたいんだよ!!!』

 『……何でですか⁉』

    聞けば後悔すると分かっているのに、聞いてしまう雪也。

    すると、少し恥かしそうに言う相馬。

 『……こ、婚前旅行♡』

 『!………行きません!!!』

    椅子を戻して、素早く玄関に向かう雪也。追いかけて来て、おもむろに倒

    れる相馬。倒れている相馬の背中を、左足で踏み付け、押さえ込んでいる

    涼介。今月二度目の光景…。

 『行ってらっしゃい、雪也君』

 『涼介さん、…ありがとうございます。行って来ます』 


    薫が泣いて喜ぶ姿が目に浮かぶ。雪也は本日一番大きな溜息をついた。